ここ最近、「コントロールできないこと」に自分の思考が引っ張られてしまうことが多かったので 書きながら自分のアタマを整理してみた。
「コントロールできること」・・・自分が意識できる範囲内における思考や行動
「コントロールできないこと」・・・「コントロールできること」以外
例えば、他人の感情や自分の人生もどうなるかは完璧にはコントロールできない。
自分が100歳生きようと思っても、病気や何かで早くに死んでしまうかもしれない。
であるならば、「コントロールできないこと」にあれこれ「漠然と思い悩む」ことは時間の損、人生を楽しむチャンスを逃しているように感じるようになった。
とはいえ、例えば社会情勢について自分なりに「考察」することは意義があるように思う。自分のアタマで考えて感情や行動に影響を与えるからだ。
「漠然と思い悩む」は事実や、調査もしないでアタマの中でぐるぐる回っているだけ。不安、しんどいといったような負の感情がつきまとう感じで終わってしまう。
一方、「考察」は事実や数字をもとに、自分はどう考えるか?という問いに答えること。こう定義付けると「考察」はなんら心理的に負の感情を持つことはないはず。
むしろ、楽しい行為なのではないか。
コロナで大きな不安が世界を覆っている。
考察もしないで不安を漠然と感じているだけだと、不安だけが暴走して必要以上に巨大化してしまっているように思う。
私達が「コントロールできるもの」は非常に限定的だけど、それに集中しなければ「コントロールできないもの」に流されるだけで終わってしまうんじゃないか。
自分のアタマで考えるとは、まずは「コントロールできるもの」と、「コントロールできないもの」とを峻別する。次に「コントロールできること」に自分のリソースを集中することだと思う。