本書を読んで感じたことは、私達は資本主義にどっぷり浸かっているがゆえに著者の主張を理解するには、受け止める方にフラットな見識と覚悟が必要だと感じました。
今の資本主義では著者の言葉を借用すれば、温暖化対策は良心の呵責から逃れ、現実の危機から目を背けることを許す「免罪符」であり、昨今話題に上がっているSDGsも現代版「大衆のアヘン」に過ぎないと喝破しているのが印象的でした。
下記は引用ですが資本主義の問題点が端的に記載されています。
・経済成長が順調であればあるほど、経済活動の規模が大きくなる。それに伴って資源消費量が増大するため、二酸化炭素排出量の削減が困難になっていくというジレンマだ。つまり、緑の経済成長がうまくいく分だけ、二酸化炭素排出量も増えてしまう。そのせいで、さらに劇的な効率化をはからなければならない。これが「経済成長の罠」である。
・資本主義は現在の株主や経営者の意見を反映させるが、今はまだ存在しない将来の世代の声を無視することで、負担を未来へと転嫁し、外部性を作り出す。将来を犠牲にすることで、現在の世代は繁栄できる。
・資本主義のグローバル化が地球の隅々まで及んだために、新たに収奪の対象となる、「フロンティア」が消滅してしまった。そうした利潤獲得のプロセスが限界に達したということだ。利潤率が低下した結果、資本蓄積や経済成長が困難になり、「資本主義の 終焉」が 謳われるまでになっている
・ミュンヘン大学の社会学者シュテファン・レーセニッヒは、このようにして、代償を遠くに転嫁して、不可視化してしまうことが、先進国社会の「豊かさ」には不可欠だと指摘する。これを「外部化社会」と彼は呼び、批判するのだ。
経済成長一本槍の資本主義は外部からの収奪を前提とするため、グローバル・サウス(グローバル化によって被害を受ける領域ならびにその住民のことを指す)の地域や社会集団から収奪し、さらには私たちの豊かな生活の代償を押しつける構造が存在すること。
また、「ジェヴォンズのパラドックス」といって、効率化すれば環境負荷が減るという一般的な想定とは異なり、技術進歩が環境負荷を増やしてしまうこと。
上記が前提として存在している今の資本主義では、環境に対する抜本的な解決を図ることはできない。
私はこのように理解しました。
では今の資本主義からどのような社会に変換すれば、環境問題を解決することができるのかをマルクスのコモン主義を使って、新たな社会を提言しています。
率直な感想を言えば、すべての国や人間自体が合理的な判断ができるとは限らないので、強烈なリーダーシップが求められると考えています。
リュングベリさんは資本主義を批判していましたが、こういった若い世代からも今の社会に疑問符が投げかけられているので、あとは大人が負の遺産を少しでも後世に残さないよう実行できるかが重要だと感じました。
意外と、地球環境対策を最優先事項とした場合にAIの発達が社会制度から人々への行動など、優れたアドバイスをしてくれるかもしれないですね。
※それを人間が受け入れるかどうかは別問題ですが。
読んでとても勉強になりました。