久々に重厚感たっぷりの本を読みました。著者が10年を費やした本書を1日2日で全て咀嚼する、というのはやっぱり無謀でした。1/10ぐらいの理解しかできていない、という感覚があります。
しかしながら、本書にかかれている内容は社会心理学の内容もさることながら、自分が本を読むときの姿勢に対して忠言もあったように思いました。
というのも、最近は哲学や歴史の本をよく読むのですが、著者は
「デカルトについて・カントについて・フッサールについて、という本は哲学研究書であって、哲学書ではない。」
「科学においても、哲学においても大切なのは疑問を提示し、それに何らかの答えを与えること」
と警鐘を鳴らしていたからです。
一流のスーパースター(カントやヘーゲル)の哲学者の思考を解説した本が出回っているが、その解説本の著者は哲学的な問いに対して、著者なりの考えを提示しているのか?と。
研究、解説しただけで哲学を勉強した、というのはおかしいのではないか?と著者は言っているのだと思います。人の解決を盗むのはやさしいとさえ言っています。
このことから私が著名な本を読む歳には、あくまで参考に留めて、「私はどう考えているのか?」が改めて重要なことだと思いました。
断片的な理解しかできていないのですが、刺さった言葉としては
・集団現象はいったん動き出すと、当事者の意思を離れて自立運動を始める
・変われば変わるほど、元のまま
・影響源が多数派の場合は、権威・権力に目がくらみやすい
・自分の意見が公にされると思った被験者は多数派の主張に追従する
でした。自立した意思の集合体で社会集団意思が形成されるかと思いきや、集団意思が個人の行為に影響を多大な与えている、つまり相互作用があるんだなと感じました。
また、私達は「意識」して行動をしていると思いきや、「無意識的」に行動していることが多いことも、目からウロコでした。
私達は私達の行動を全て自分の意思で決めている、と思っていたからでしょう。
とするならば、無意識に詰め込まえれているインプット情報がとても重要だと思います。
インプットは結局、出口さんの言葉を借りれば本・人・旅(経験)の3つしかないので
量と質を向上させた方がいい行動ができる確率がUPするのかなと思いました。