非常に読み応えがある本だったので、簡単に感想を書くことはできませんでした。
5回程読み直しては自分で咀嚼してみての繰り返し。。。
本書で感じたことは、哲学の有名な問題が本書に紹介されていますが、それを解こうとするのであれば、片手間で考えられるようなものではない、ということです。
著者のようにその難問に真正面に真摯に打ち込んでこそ、哲学者と呼べるのかなと感じました。
・最大の哲学問題は「死」である
人間は死と不幸と無知とを癒やすことができなかったので、幸福になるためにそれらのことについて考えないことにした(パスカル)
つまり、私達は死を考えないようにしているが、しっかり死が身近な存在であることを自覚しながら生きることが重要ではないか?
・哲学とは何でないか?
└哲学は思想ではない
哲学の最大の特徴は、足元にころがっている単純なことに対して、誰でもどの時代でも考え抜けば同じ疑問に行く着くという信念のもとに徹底的な懐疑を遂行すること。
└哲学は芸術家ではない
宇宙的な謎を思索し続ける。芸術家はものについては思索し続けるが必ずしも宇宙的な謎を思索し続けるわけではないから
└哲学は人生論ではない
人生論には「XXするとよい」という「よい」がある限り哲学ではない。哲学にはよいも、よくないもないからだ
└哲学は宗教ではない
宗教には救済が含まれているが、哲学には救済が含まれていない。
└哲学は科学ではない
科学は客観性を重んじる。哲学は自分固有の人生に対する実感に忠実に、そこに普遍性があるかのように、言語というコミュニケーションを求め続ける営みである。
上記のように哲学ではないことを述べながら、哲学とは何であるか?を説明する方法は新鮮でした。
・哲学の問いとはいかなるものか?
└時間という謎ー過去は存在しない
大脳を含めこの宇宙のどこにも過去という時間性格をもつ出来事は発見できない。物質はすべて現在存在しており、その複雑な作用すべてが現在生じている。過去を想起していることも、現在想起している。すなわち過去ではない。
└因果関係
原因や結果とは、われわれが測定したり観察したりすることによって発見されるような自然法則ではなく、「こうしたことは二度と起こってほしくない」とかの原始的な欲求に従って、自然現象をさらにとらえなおすこと
└私は存在するか?
この非物質的な「私」がいかにこの私という身体のどこに住み着いているか?という難問
└他人という謎
私はわたしの身体と他人の身体をどのように区別するのか?
ここの章が一番、頭を使った部分です。今だに問題すら理解できていないものもあります。ですが、こういった難問を全身全霊をかけて自分の解を見つけるのが哲学であると理解しました。
・哲学はなんの役にたつか?
└無用の用
哲学は死を宇宙論的な背景に見つめることによって、この小さい地球上の、また小さな人間社会のみみっちい価値観の外に出る道を教えてくれる。それは本当の意味において自分が自由になると同時に、自分が自分自身に還る道なのです。
なるほど、と思いました。 また、モンテーニュのことば↓
われわれの偉大で光栄な傑作とは、ふさわしく生きることである。
そのほかのことは、統治することも、お金をためることも、家を建てることも、皆、せいぜい付帯的二次的な事柄にすぎない
世のあまたに評論家はいるのに、哲学者はいない。なぜか?それはほとんどが哲学の評論家だからである。
私がなぜ哲学に惹かれるのか?それは自由になり、自分自身にふさわしく生きる方法が見つかるかもしれないから。
と本書から自分なりの解を得ることができました。
・なぜ西洋哲学を学ぶのか?
└近代科学とワンセットで日本に西洋哲学は侵入してきたこと
└哲学は言語的なコミュニケーションを必要とする、ゆえに言語的に獲得が難しい、アラビア語などを習得してまで学びたいと思える哲学者がいないこと
└世界のアカデミズムは西洋が大半を占めている
・なぜ哲学書は難しいのか?
哲学の議論は日常的世界を突き破っていくところがあるから、どうしても日常言語では表現できないところがある
とはいえ、われわれが日常言語にそって生き悩んでいるのだから、その生きる現場から離れてしまっては元も子もない。
数学みたいに、言葉を定義して、そこから議論を進めていくことができない
本当に簡単に読める、読んでいいような本ではないと思います。著者の苦悩が行間から伝わる本は私も考えながら読んでみたものの、数回読んで"わかる"ほど楽なものではないと自覚しました。
高い山を自らの足で登るように少しずつ前に進むしかない。
頭からたくさん煙がでるような本を読むことも貴重な経験だと思わせてくれる本でした。
哲学というのをきちんと知りたい方にはおすすめです。